ゆっこのお宝メモメモ

思わずメモメモしたくなる主婦のひとりごと日記です

ピアノと私の歴史 ~前編 子供時代~

ブログのプロフィールにも書きましたが趣味のひとつとして、ピアノをやっています。 いつから?どれぐらい弾けるの?ピアノを始めたきっかけは?などなど、前編、後編に分けて書いていきます。

ピアノとの最初の出会い

ピアノに出会ったのは幼稚園です。通っていた幼稚園の廊下にはミニオルガンみたいなのが数台おいてあり、私の周りの友達がそれで何かの曲を弾いていました。 家に帰って母親に「どうして私はピアノが弾けないの?〇〇ちゃんも、△△ちゃんも、みんな弾けるよ!!私もピアノが弾けるようになりたい!」と言いました。あまり鮮明な記憶が少ない幼稚園時代のことでも、この言葉は今でもはっきりと覚えています。

そのあとの母親とのやりとりは覚えていませんが、そうこうしているうちに、自宅にアップライトピアノが届き、ピアノを習うことになりました。

優しい先生からスパルタ先生へ

初めて習ったピアノの先生は教育学部の学生さんでした。幼稚園のお友達と楽しく通いながら、楽譜の読み方を習ったり、赤のバイエルや黄色のバイエルをやっていました。とても優しい先生だったので、怒られることもなく、ピアノは楽しいものと思っていました。

はっきりした年齢は覚えていませんが(たぶん小学2年生ぐらい)、黄色のバイエルが終了したところで、これより先の曲は教えられないから、ピアノは違う先生のところで習ってくださいということになり、ピアノ教室を変わることになりました。

どういう紹介で母親が見つけてきたかは知りませんせんが、別のお友達と新しいピアノ教室へ通うことになりました。今度は、バリバリの有名音大出身の先生です。初回レッスンで、基礎がなっていない!!!と思いっきり怒られ、かなり凹んだことは覚えています。それから、毎週厳しいレッスン続きます。一緒に始めた友達は、数か月もしないうちに辞めてしまいました。私もピアノを辞めたいと言ったかどうかは覚えていませんが、先生に怒られながらも泣きながらも、レッスンには通っていました。

ピアノがうまくなりたい

同じクラスにピアノがとても上手な男の子がいました。コンクールでも優勝するようなハイレベルな子でした。小学校の音楽会などで、ピアノの伴奏もやっていて、「私もいつか伴奏やってみたいなぁ」と思っていました。でも、ピアノの伴奏ができるのは1名だけ、私がその子に敵うはずもなく、でもいつかはと思いながら、ピアノがうまくなりたい一心でピアノ教室に通っていました。

でも、あることがきっかけで、その男の子は音楽会などでピアノの伴奏をしなくなりました。それからはその子に代わってピアノの伴奏をすることになり、音楽会、入学式、卒業式のすべての伴奏を私が担当することになりました。厳しい先生のレッスンに耐えながら、ピアノを頑張ってきてよかったと思っていた時期でした。 この頃には、ツェルニーは40番を練習、バッハ、ショパンベートーヴェンモーツァルトなどの中級レベルなら弾けるぐらいになっていました。ピアノが上達することへの達成感はあったものの、ピアノがあまり楽しいと思ったことはありませんでした。先生に怒られないように練習をしていたという感じです。といっても、あまり練習が好きなほうではなかったので、1日30分ぐらい、ピアノの発表会や音楽会などの伴奏があるときは1日1時間練習するというレベルでした。

ピアノを辞めた理由

中学に入ってからは将来、音楽の道に行くわけでもないのに、このまま厳しいレッスンを受けるのはしんどいなぁと思い始めました。ピアノを弾きたいという思いも薄れていきました。 そして、部活にも入ることになり、なんとなくフェードアウト。そこでピアノの習い事は一旦終了です。

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